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広島高等裁判所松江支部 平成2年(ネ)30号 判決

控訴人

小幡万造

右訴訟代理人弁護士

高野孝治

被控訴人

島根県

右代表者知事

澄田信義

右訴訟代理人弁護士

矢田正一

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  控訴人

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人は控訴人に対し、金二〇〇万円及びこれに対する昭和六二年四月二日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

二  被控訴人

主文同旨

第二当事者の主張

当事者双方の事実上、法律上の主張は次に附加するほか原判決事実摘示のとおりであり(ただし、原判決一二枚目裏初行「退職により」(本誌本号〈以下同じ〉50頁4段13行目)の次に「校長の」を加える。)、証拠の関係は本件記録中の第一、二審書証、証人等目録記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

一  控訴人の主張

1  教職員に対する人事権の行使は、教育という営みに本質的に根ざす理念、教育基本法六条二項による教職員の身分保障、教育基本法一〇条による教育行政の不当な支配排除等の法規範に基づき適正に行使されなければならないことはもとより、ことに人事権の行使に恣意、独断、非合理的要素が介入する恐れがあることにかんがみれば、右のような法規範のみならず教育条理、事実上の慣習、教職員の中にある一般的認識を重視し、差別的取り扱いの無いよう十分配慮されなければならない。ところで、島根県教育委員会(以下「県教委」という。)、その下部機関である西郷教育事務所は長年にわたる同事務所管内の小・中学校の校長の人事異動について、複式、小規模校から単式、大規模校へ、周辺部の学校から中心部の学校へという異動を繰り返し行い、それが一つの慣例となって教職員並びに地域社会の一般的な理解となっていた。被控訴人が提出した同教育事務所管内の昭和五一年から本件処分時までの小・中学校長人事をみても、単式校から学級数が減少した複式校への異動は、在職中に校舎から出火した校長に対する異例に属する人事一例を除いて本件以外に存在しない。原判決は、右のような人事異動上の慣行が成文化されていないことをよいことに、これが控訴人の個人的・主観的なものと判断したが、右は事実の認識を欠くものであり、本件処分がこれまで長年にわたる人事異動の慣行や平等取扱原則に反した差別的なものであることは明らかである。

2  本件転補処分は、控訴人の対外試合の精選という具体的教育活動に対する一部保護者の不当な圧力、人事権への介入に屈し、県教委が控訴人の右教育活動を嫌悪してなした懲罰的見せしめ人事にほかならない。原判決は、校長の人事異動の策定に当たり適材適所の原則を挙げ、部活動精選という教育課程の編成に関する校長の権限行使の事実を、年齢、経験、手腕、行動の特徴等の一般的評価要素と同等に評価して本件転補処分を是認しているが、両者の間には超え難い異質の価値があり、右判断を受け入れることはできない。けだし、教育課程の編成に関する権限の行使は、教育基本法一〇条により校長の権限として権力から独立して行使することが保障されており、これを材料として人事を左右することは教育権を侵害するものとして同法六条の趣旨からも許されないからである。

3  地方教育行政の組織及び運営に関する法律(以下「地教行法」という。)三八条一項は「都道府県委員会は、市町村委員会の内申をまって、県費負担教職員の任免その他の進退を行なうものとする。」と規定し、県費負担教職員(市町村立学校教職員)の人事権が市町村教育委員会の固有事務であり、これが県教委に機関委任されたことを明らかにしている。したがって、市町村委員会の内申は、それ以降における県教委による原案作成、広域調整、決定、発令等の基礎となるもので内申抜きで作成された人事異動の原案や発令は無効というべきである。ところが、本件転補処分は、隠岐島後教育委員会の内申がなされる島根県教委により決定、作成された原案に基づいてなされている。かくては、市町村委員会の内申は形式を整えたものに過ぎず、県教委の意見を優先させてなされた本件転補処分は前記法意を無視するものとして違法である。

二  被控訴人の主張

1  西郷教育事務所管内における小・中学校校長の過去の人事異動において、小規模校から大規模校へ、周辺部の学校から中心部の学校への転補、転任事例が比較的多数を占めることは控訴人主張のとおりであるが、右のような異動が控訴人主張のように慣例になっていた事実はない。

2  控訴人が対外試合を精選する方針で活動していたことは県教委としても認めているところである。県教委としても地域の実体を把握し、教育的効果を十分考慮して、学校行事や部活動を計画的に行ない、もって児童生徒や教員の過重負担とならぬように市町村教委や学校を指導しているのであるから、控訴人の右精選活動を嫌悪する理由もなかった。本件転補処分は、昭和六二年度の校長人事における空きポスト、控訴人の現任校である中村小学校と転補校である加茂小学校の規模や社会的評価に特段の差異がないこと、控訴人の定年までの年数、地理的状況を勘案してなされたものである。控訴人は、校長の課外活動の取り組み方を含む教育課程の編成に関する方針とその行使を人事異動策定に際して考慮することが違法であると主張するが、小・中学校長は、当該学校の教育活動その他校務を掌握し所属職員を監督する地位にあり、校長の判断と責任において学校経営を行なうものであるから、その人事異動に関して教育課程編成に関する諸事情が考慮されても教育権を侵害する問題は生じない。なお、教育課程の編成責任は校長にあるが、公立学校にあっては、教育委員会は、所管の学校の教育課程について権限を有し(地教行法二三条五号)、教育課程の編成についての基準を設定し、一般的な指示を与え、指導・助言を行なうとともに、必要な場合には具体的な命令を発することができるとされている。以上のことからすれば、教育課程の編成に関する権限が、校長に独立した権限として認められると解することはできない。

理由

一  請求原因一の事実は当事者間に争いがない。

二  そこで、本件転補処分が違法であるかどうかについて検討する。

1  人事異動の慣例違反、地方公務員法一三条、憲法一四条に違反するとの主張について

(一)  本件は、被控訴人の機関である県教委が昭和六二年度定期人事異動に当たり、中村小学校校長であった控訴人を加茂小学校校長に転補(市町村立学校の教育職員を、同一市町村の他の市町村立学校の教育職員に配置替えすることをいい、地教行法四〇条の規定により引き続き他の市町村立学校の教育職員に任命する転任と異なる。)したのが違法であると主張し、国家賠償法一条に基づき被控訴人に損害賠償を求める事案である。

(二)  (証拠・人証略)控訴人本人供述(原、当審)によると次の事実が認められる。

(1) 隠岐郡島後地区の小学校について

島根県内の市町村立学校は、国指定の僻地学校が多く、県教委は昭和四七、八年ころに「島根県公立学校教職員人事異動方針」、「市町村立学校教職員人事異動方針細則」を定めて、僻地学校勤務教職員についての人事異動を運用してきた。隠岐郡(島前、島後)の町村立小・中学校はすべて僻地校の指定を受けていた(中村小学校が三級であり、その余はすべて二級)ものであるが、そのなかでも比較的中心部に位置する学校と、周辺部に位置する学校があり、これを所管する県教委の出先(出張)機関である西郷教育事務所も、少なくとも昭和四八年ころから昭和六〇年ころまではこれら学校を「中心部の学校」と「周辺部の学校」に分け、その教職員の人事異動については双方の学校勤務を経験するよう運用内規を作成して人事異動を考慮してきた。このうち島後地区(西郷、布施、五箇、都万の四町村)についてみれば、その地教委である隠岐島後教育委員会が所管する小学校は、西郷(学級数二〇)、飯田(同六)、大久(同三)、中条(同六)、有木(同六)、下西(同六)、今津(同三)、加茂(同五)、中村(同六)、布施(同三)、五箇(同七)、都万(同七)、那久(同三)小学校の一三校であるが、大久、今津、加茂、布施、那久の各小学校は複式校、かつ周辺部の学校に位置付けられた学校であり、その余の小学校に比して児童数、教職員数とも少ない小規模校であった。

(2) 中村小学校と加茂小学校について

昭和六二年四月における中村小学校と加茂小学校の規模を比較すれば、中村小学校は六学級(単式校で、児童数九一名、教職員数一一名、専任の教務主任、事務職員の配置がある。)、加茂小学校は五学級(複式校で、児童数六四名、教職員数八名、専任の教務主任、事務職員の配置がない。)であったが、(1)に認定のとおり僻地校等級では中村小学校が三級であるのに対し、加茂小学校のそれは二級であった。なお、少なくとも昭和五一年以降加茂小学校校長に就任した四名の校長はいずれも教頭や指導主事からの昇任人事であったし、戦後中村小学校の校長を勤めた校長は、ほぼ同規模ないしそれ以上規模の大きな学校、中学校校長等に異動している。

(3) 島後地区小・中学校校長の過去の人事異動

昭和三五年度から昭和六二年度までの隠岐郡内の小学校校長の人事異動では、複式・小規模校からより規模の大きな小学校へ、または周辺部の学校から中心部の学校へ異動したものが一〇八例、その逆が本件転補処分を含めて五例、昭和五一年度から昭和六二年度までの、小・中学校校長の異動三〇例(異校種間の異動及び昇任者を除く)では、学級数が減少した学校への異動例が三例であった。

(三)  右認定事実によれば、島後地区の小学校校長の人事異動については、複式・小規模校からより規模の大きな小学校への異動が大半を占めており、その意味で本件転補処分は数のうえからは少数に属することを肯認できる。思うに、都道府県教委の市町村立小・中学校等の校長、教諭、養護教諭等の県費負担教職員に対する人事配置権の行使は、法令に反しない限り、その裁量に委ねられているのであるが、ことに小・中学校校長は教育面を含む学校の対外代表者、校内指導者等として学校運営の管理職的・中核的地位を占める(学校教育法二八条三項参照)こと、また、転補処分は分限処分等と異なり被転補者の制度上の地位、待遇に変更を伴わないことにかんがみれば、その転補人事権の行使については、人事の適正配置を期するためのより広汎な裁量権が肯定されるものと解せられる。加うるに、定期人事異動も、当該年度の異動の幅、人数、異動方針等一定の条件下になされるものであるから、具体的な人事異動の必要性・経過等を離れて、その適法違法を云々し得べき筋合いではない。したがって、かりに多数を占める前記異動形態が、過去における人事配置権の合理的運用の結果として帰納され、これが慣例化されていたとしても、県教委がこれに覇束されるいわれはないから(ちなみに、県教委は後記のとおり、公立学校教職員人事異動方針、同細則を定めているが、かりにこれに反する人事権の行使をなしたとしても、それがただちに違法となるものではない。)、本件転補処分の形態が少数に属し、あるいは過去の慣例に反することのみをもって違法であるとし、ひいては地方公務員法一三条、憲法一四条に違反するとの主張は理由がない。

2  人事裁量権を濫用したとの主張について

(一)  そこで控訴人は、本件転補処分が人事裁量権の濫用に当たる旨主張するので検討するに、(証拠・人証略)、控訴人本人(原、当審の各一部)を総合すれば、次の事実が認められる。

(1) 控訴人の経歴等について

控訴人(昭和四年二月二〇日生)は、昭和二二年四月に中村小学校の教諭を振り出しに、主として西郷教育事務所管内の小学校を異動し、昭和五三年四月から今津小学校、昭和五五年四月から中村小学校の校長を歴職したものであるが、昭和六二年四月の定期人事異動期には中村小学校での校長在職期間が七年を迎えていた。県教委は、昭和四八年以降の新規教職員の採用が増加したことや僻地校の数が減少してきたことなどの流れを受け、昭和五九年に新たに「昭和六〇年度公立学校教職員人事異動方針」、「同細則」を定めて状況に応じた弾力的人事異動が行なえるようにしたが、その一つに、「同一学校(七年以上)、同一地域(同一市町村の場合は一五年以上)における永年勤続者については、交流をはかり、人事の刷新を期する。」との方針があった。ちなみに、昭和六一年における前記一三の小学校の校長のうち、昭和六二年度の定期人事異動期において現任校の在職期間が七年に至るのは控訴人一人であった。

(2) 小学校における学校教育活動外の対外試合について

ところで、小・中学校の教育課程の編成(各教科、道徳、特別活動)や、学校での教育活動についての一つの問題点として、教育課程外の対外運動競技等、なかんずく、いわゆる対外試合が過熱し、児童の心身への影響、教員への負担、学校運営への支障などが早くから指摘されてきた。控訴人も、本来の教育課程外にあるこれら対外試合のための準備、練習等に児童のみか教職員の多大の精力が割かれ、教員が教材研究や授業の準備もできないまま放課後のすべてを対外試合の練習に当てざるをえない事態に立ち入って本来の学校教育のあり方に深く影響していること、また、これにより授業が充実できないことが近年とみに社会問題化している少年の非行問題、児童生徒の落ちこぼれ問題等につながりかねないことなどを深く憂慮し、対外試合を精選して正規の教育課程を充実させた児童の教育に第一次的な心血を注ぐべきものと考え、昭和四〇年ころから対外試合の精選に意を用いてきた。もっとも、文部省は、小学生の対外試合については、昭和四三年ころまでは「親睦を目的とする隣接の学校との連合運動会を除いて対外試合を禁じる」態度であったが、昭和四四年七月三日「児童生徒の運動競技の基準」と題する事務次官通達により、小学校における学校教育活動としての対外運動競技については「校内における運動競技を原則とし、対外運動競技は行なわないものと」するものの「学校教育活動以外の運動競技については、・・・運動競技会の規模、日程などが児童生徒の心身の発達からみて無理がなく、学業にも支障がないこと・・・」などの基準を示し、さらに、昭和五四年四月五日「児童・生徒の運動競技について」と題する事務次官通達により、小学校における学校教育活動としての対外運動競技についても「校内における運動競技を中心として行ない、原則として対外競技は行わないものとする。ただし、同一市町村又は隣接する市町村程度の地域内における対外運動競技については、学校運営及び児童の心身の発達からみて無理のない範囲で実施して差し支えない。」と、それまでの基準を緩和する態度を示した。しかし、これら通達も、もとより学校教育活動以外の対外運動競技を無制限に容認するものではなく、学校教育活動に支障のない範囲でこれを認めるものにすぎない。島根県教育長も、昭和四一年一一月二九日「公立学校における勤務時間について」と題する通知のなかで、「対外試合等の参加については、学校の自主的教育計画の立場から、その性格、内容等をじゅうぶん検討して精選すること。」を示している。

(3) 控訴人の対外試合等精選の取り組みについて

以上のような状況のもと、控訴人は、昭和五五年四月に中村小学校の校長に就任して以来、本件転補処分時までに保護者、地域住民、島根小中校長会等に理解と協力を求めて対外試合の精選活動に取り組んだが、一部保護者や地域住民の相当根強い抵抗を受けた。この間の事情は原判決一八枚目表末行(52頁2段32行目)から二六枚目裏二行目(54頁4段23行目)までに判示するところと同一であるから、ここに引用する(ただし、二二枚目裏初行「斎藤教育長」(53頁3段30行目)を「隠岐島後教育委員会の斎藤教育長(以下「斎藤教育長」という。)」と改める。)。

(4) 昭和六二年度人事異動案の策定について

この点についての当裁判所の認定事実は、左記のとおり附加、訂正するほかは原判決二六枚目裏三行目(54頁4段24行目)から三〇枚目表四行目(56頁4段32行目)までに判示するところと同一であるから、ここにこれを引用する。

(イ) 原判決二六枚目裏三行目冒頭(54頁4段24行目)から八行目「問題になったが、」(54頁4段31~32行目)までを「昭和六二年度島後地区小学校校長の定期人事異動の策定に際し、前記小学校一三校のうち定年により校長職の空きがでるのは有木小学校(河本校長)のみ、前記人事異動方針細則等の「永年勤続者」に該当するのは控訴人(中村小学校、現任校勤務年数七年、年齢五八歳)のみであり、その余の一一小学校校長のうち一応異動が可能であったのは大久小学校(上田校長、同三年、五二歳)、下西小学校(樋口校長、同五年、五八歳)、今津小学校(増本校長、同四年、五六歳)、加茂小学校(宇野校長、同四年、五六歳)、布施小学校(番家校長、同五年、五七歳)、都万小学校(笠松校長、同五年、五八歳)の校長であり、その余の小学校の校長については、現任校への転勤から日が浅いか、退職まで一年を残すのみで、異動の対象者でなかった。当初、有木小学校校長の後任候補者として控訴人、樋口校長、藤田校長(五箇小学校)、笠松校長、平木校長(都万中学校)が上がったが、最終的に残ったのが、控訴人及び笠松校長であった。県教委は、」と、同一二行目「原告は」(55頁1段6行目)から末行「姿勢であることから、」(55頁1段7~8行目)を「控訴人の前記精選活動ないし教育目標の重点の置き方からして、」とそれぞれ改める。

(ロ) 同二七枚目表四行目「更に、」(55頁1段13行目)の次に「昭和六三年度」を加え、同二七枚目裏三行目「しているので」(55頁1段31行目)の次に「(控訴人は、生活の本拠(西郷町東郷)である西郷町の中心部の学校を希望していた。)」を、五行目「見送られ、」(55頁2段2行目)の次に「都万小学校へは、その健康状態をも考慮して地元出身の宇野校長(加茂小学校)を転任させ、」をそれぞれ加える。

(ハ) 同二八枚目表初行「低い。」(55頁2段15~16行目)の次に「(なお、平成元年度では、加茂小学校の学級数は六、生徒数は六九名で単式校になっている。)を加える。

(ニ) 同二九枚目表四行目(55頁3段26行目)の次に改行して「結局、昭和六二年度の前記人事異動において右各異動を除いて西郷町立小学校九校のうち校長の異動のあったのは、大久小学校校長が島前の海士中学校に転任(その後任は教頭から昇格した新任校長)したのみであった。」を加える。

(二)  控訴人は、本件転補処分は、控訴人の対外試合の精選活動を嫌悪し、また、これを嫌悪する一部保護者等の圧力に屈した見せしめ人事である旨主張するところ、県教委が、控訴人の具体的な精選活動の実践が、一部保護者や地域住民に十分な理解を得られないまま進められて軋轢を生じたことを危惧していたこと、そして、中村小学校の保護者ないし地域住民の一部が控訴人の対外試合精選活動に反発し、それを理由として控訴人の人事に影響力を行使するかのごとき言動に及んだものがあったことは前記認定のとおりであるが、これを超えて県教委が控訴人の精選活動そのものを嫌悪し、あるいは一部保護者らが県教委の人事に介入し、あるいは県教委がこれに応じたとの事実は認め難い。

(三)  かえって、前記認定事実によれば、昭和六二年度定期人事異動期には、控訴人は、島後地区小学校一三校の校長の中で、ただ一人現任校の勤務が七年に及ぶ永年勤続者であり、全県下に適用されるべく県教委の定めた前記人事異動方針細則によっても異動対象者の筆頭にあったもので、控訴人が中村小学校からの転補人事を受けたことに不合理な転補は一切存しない。そして、島後教育委員会所管の一三校の小学校のうち、昭和六二年度の定期人事異動期に確実に校長職が空くのは、校長が定年退職する有木小学校のみであった。有木小学校は、控訴人が転補を希望する西郷町の中心部に位置する学校であったが、日本学校体育研究連合会、島根県学校体育研究連合会主催の島根県保健体育優良学校を目指して全校的な取組をしている学校であり、それまでの同校の学校経営の経過や実情に照らし、同校に控訴人を転補した場合には中村小学校と同様に控訴人の対外競技等の精選活動を理解しない保護者との軋轢により混乱を招くことが具体的に予想できた。そこで、県教委は、有木小学校校長の後任に都万村立都万小学校の笠松校長(現任校勤務が五年になり、年齢は控訴人と同じ。)を、また、その後任に加茂小学校の宇野校長を各転任させ、加茂小学校の校長に控訴人を転補するのが適材適所の原則に合致するものと判断したものである。前示のとおり、本件転補処分が隠岐郡の小・中学校校長人事としては少数に属する形態であったこと、これまでの人事異動では中村小学校の校長は少なくとも同規模以上の学校へ配置替えされていることを考慮しても、本件転補に至る前示一連の経過に、加茂小学校の所在地、その規模、控訴人の学校制度上の地位、待遇に変更がないこと等を総合勘案すると、本件転補処分が人事権を濫用したものとはとうていいえない。

(四)  控訴人は、かりにしかりとしても、本件転補処分にあたり、その対外競技精選活動を斟酌することは、教育課程の編成という校長の教育活動を理由とする教育行政の介入であり、教育基本法一〇条の趣旨に照らし許されない旨主張するが、この点についての当裁判所の判断は、原判決が三一枚目裏五行目(56頁2段22行目)から三二枚目表一〇行目「あるとはいえない。」(56頁3段22行目)までに説示するのと同一であるから、ここにこれを引用する。付言するに、本件転補処分は、それ自体控訴人の教育課程の編成に容喙するものではないし、県教委の職務権限について規定した地教行法二三条五号(教育委員会の教育過程等に関する権限)、三三条(教育委員会の教育課程等についての規則制定権)等の規定に照らせば、県教委が人事異動の策定に当たり、校長の教育課程の運営管理を考慮することは当然許容されるものというべきである。

3  地教行法違反の主張について

控訴人は、さらに、本件転補処分が地教行法三八条一項、三九条に反する旨主張するが、当裁判所の判断は原判決三四枚目表四行目(57頁1段25行目)から三六枚目表一〇行目(57頁4段13行目)に説示するところと同様であるから、これを引用する。控訴人は、本件転補処分に当たり、県教委(西郷教育事務所)が隠岐島後教育委員会の内申に先立って原案を作成したのは、内申権を軽視した違法なものであるとも主張するのであるが、(証拠・人証略)によっても明らかなとおり、教職員の人事異動は県下全域の教育水準を同質に維持する必要上、当該地教委の所管を超えた広域人事が伴うことを勘案すれば、前記内申権の運用をもって違法とはとうていいえない。

4  以上の次第で、控訴人が主張する精神的損害が法的に保護されるべきものか否かの判断に立ち入るまでもなく、本訴請求は理由がない。

二  よって、控訴人の本訴請求を棄却した原判決は正当であり、本件控訴は、理由がないので棄却することとし、控訴費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 角谷三千夫 裁判官 渡邉安一 裁判官 渡邉了造)

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